現実だけでなく、見る人の心情もイメージする
- たった2つのことをイメージするだけで、英語の冠詞がわかるようになる
- Independently published
- 本
ことばをことばの上だけで捉えていては何もわからない。
現実をイメージすることによって、ここまで冠詞のことがわかるようになった。
ヨーロッパのホテルに泊まると、朝食では果物が丸ごと置いてあって、自分で剥いて食べる。私はアメリカに行ったことがないが、その辺はほとんど変わらないだろう。
同じりんごでも日本では食べ方がちがう。デザートとして出てくる時もはじめから切ってある。日本のような食習慣の国が英語圏になっていたら、りんごの扱いも少しはちがっていたかもしれない。
「りんごが好きです」を 「キャベツが好きです。= I like cabbage.」のように、I like apple. と言って何の違和感もないようになっていたかもしれない。もちろん、サラダに使う食材とか、りんごの香りに重きを置けば、この表現はありうる。習慣がちがえば、ごくふつうにりんごが好き、りんごという果物が好きという時にもこの表現が使えることになる。
食習慣という現実とそれを捉える人間の心情。そこに応えがあるのであって、英文法の中に答えがあるのではない。
ロブスターを丸ごと食べても殻までは食べないだろうから、I ate a lobster.とすることに抵抗を覚える人がいる。ニワトリの丸焼きなら、羽はむしっているはずなのに、本当に丸ごと1羽食べたのであれば、I ate a chicken. に異を唱える人はいない。ニワトリの丸焼きからは元のニワトリが思い浮かぶのに対して、分厚い鎧をまとっているロブスターから殻を取ってしまえば、もうそこには元の姿はない。
さて、ここでわれわれの前に難問が立ち塞がる。
マッシュポテトはイギリスではmashed potatoであるが、アメリカではmashed potatoes となる。元の形をとどめていないという点ではイギリス英語の単数無冠詞が妥当であると思える。
これはもう、現実を眺める人間の心情をイメージするほかない。
アメリカ人には、元のじゃがいもの形が眼に焼き付いているのではないか。
Bing AI に質問していると、確かに元の形が眼に焼き付いているからという答えが返ってきた。
.
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。